鶴町学園のあゆみ

1955年(昭和30年)

大阪市大正区鶴町3丁目に保育園を設立する計画がたてられ、現在の場所に設立されました。

4月11日、開園式が行われ、大阪府公認の鶴町学園が誕生。

1956年(昭和31年)

開園当時はなかなか園児が集まらず、一軒一軒たずね歩きました。

また、職員の給与が遅れ、教材費の支払いも遅れ、苦難の年となりました。

1957年(昭和32年)

徐々に園児が集まり、ゆうぎ室が建設され、バスも新しくまりました。

1961年(昭和36年)

第二室戸台風の被害を受け、園舎はボロボロ、園児のクレパスも自由画帳もイスも机も流されてしまいました。給食を作ることさえできず、休園が続きます。

1962年(昭和37年)

再起不能で絶望状態でしたが、父兄や商社の方の励ましと協力のおかげでなんとか園を開園することができました。新たに建設する2階建ての園舎の工事が急ピッチで進められました。

1963年(昭和38年)

復旧工事がやっと終わり、朝から夕方まで走り回ってくれた建設委員の努力により、園舎が完成。

全部で6つの教室と、給食室。また園歌が制定されました。

1964年(昭和39年)

10周年記念を迎える。

式典のあと、記念パレードが行われ、大正区を鶴町学園のバスが走りました。

1968年(昭和43年)

理事長の理想である「明るい園舎、広い運動場でのびのびとはぐくんでやりたい。」それを生涯の責務であると信じ、新園舎の建築に取り掛かります。

1969年(昭和44年)

新しく明るい園舎が完成。鉄骨3階建タイル張りの近代的園舎にゆうぎ室、保育室3つ、ガレージ保健室が出来ました。

1972年(昭和47年)

4月1日付けで「財団法人浪速保育事業財団 鶴町学園」となり法人になりました。

そして、開園18年目のどかっと根を降ろした鶴町学園の理事長である舟戸幸嗣が亡くなります。

夕日が沈む愛唱歌の流れる中、葬儀は終わります。

1973年(昭和48年)

3月19日、故理事長 舟戸幸嗣の銅像設立除幕式が盛大に行われました。

1975年(昭和50年)

3月、新園舎鉄筋コンクリート造り3階建ての近代的園舎の落成。保育室12室、事務所、会議室、給食室が入る建物ができ、7月には北に職員寮、音楽室、ガレージの建物がが完成しました。

1979年(昭和54年)

25周年。四半世紀をともに過ごした鶴町学園の25周年の記念式典が行われました。来賓と49名の職員、双葉会役員、OB父兄と全員でお祝い。シルバー式典。

1982年(昭和57年)

全日本幼稚園・保育園鼓笛フェスティバルに初出場しました。

1985年(昭和60年)

3月17日、創立30周年記念式典。大阪ロイヤルホテル・ロイヤルホールにおいて、来賓・職員・双葉会役員・OB父兄380名で盛大に行いました。

1990年(平成2年)

3月11日、創立35周年記念式典並びに祝賀会を大阪ロイヤルホテル光琳の間において行いました。

1994年(平成6年)

新園舎・乳児室とホールが完成。0歳児保育スタート。

1995年(平成7年)

1月17日、阪神淡路大震災が発生。

ガス、水道がストップし、園庭は25cm沈下し、園は臨時休園。援助により復興工事が始まります。

1996年(平成8年)

なみはや国体。北村テニスパークへ応援に行きました。

2000年(平成12年)

1月17日、阪神淡路大震災が発生。

ガス、水道がストップし、園庭は25cm沈下し、園は臨時休園。援助により復興工事が始まります。

2001年(平成13年)

創立50周年記念事業の1つとして、正門が完成。

2002年(平成14年)

4月17日、延長保育がスタート。

2003年(平成15年)

4月から園庭開放がスタート。生後7ヶ月より就学前園外児受け入れ始まる。

阪神タイガース優勝。

2004年(平成16年)

4月9日、第50回入園式。

8月29日、50周年記念式典を実施。来賓・職員・双葉会役員・OB・保護者300名でお祝いしました。